240504sat

晴 27℃

6時前に起床し二度寝。起きたら9時ごろ。

起き出して、バナナを頬張りながらレポートに取り組む。

 

The stage, my lords, and the press, are two of our out-sentries; if we remove them, if we hood-wink them, —— if we throw them in fetters, the enemy may surprise us. Therefor I must look upon the bill now before us as a step, and a most necessary step, too, for introducing arbitrary power into this kingdom. . . 

(Chesterfield’s speech)

 

…as, to those early Christians who had worshipped from their childhood upwards in catacombs, the torchlight and shadows must have seemed nearer the Divine presence than the heathenish daylight of the streets. The secret of our emotions never lies in the bare object but in its subtle relations to our own past…

(George Elliot  Adam Bede)

 

ティーが「低級な性質」(第15章)から「高級な性質」に変わるというような感傷的な逆転は、物語では起こらない。ヘティーの「頑なで、愛情に欠けた絶望的な魂」(第37章)は懺悔によって変容し、彼女は、たえまなく荒野を彷徨い続けなかればならないという恐怖から解放されるが、「苦しみ、癒され、絶望し、希望を取り戻したことの意味」(第31章)は理解できない。
(ティム・ドリン『ジョージ・エリオット』〔廣野 由美子訳〕2013年、p238-239)

 

Humanity is a huge aggregate lie, and a huge lie is less than a small truth. Humanity is less, far less than the individual, because the individual may sometimes be capable of truth, and humanity is a tree of lies. And they say that love is the greatest thing; they persist in saying this, the foul liars, and just look at what they do! Look at all the millions of people who repeat every minute that love is the greatest, and charity is the greatest and see what they are doing all the time. By their works ye shall know them, for dirty liars and cowards, who daren't stand by their own actions, much less by their own words.

(D. H. Lawrence The Rainbow)

 

はっきり分かることは、ベンドリックスがセアラとの情事を生きてきた主体でありながら、それを生きたままに書くのではなく、どうしても〈作家〉が虚構作品を作るように生き、そしてそれを〈虚構作品〉であるかのように書こうとしてそれに失敗し、そのために〈情事〉にも破れ、〈作家〉としても破産へと追いやられることになったということであります。

(中略)
 永遠の現在を生きたセアラとは逆に、アウグスティヌス的な過去・現在・未来の中で過去(記憶、悔恨)と未来(不安)の両方に引き裂かれて現在が欠落しているという意識から解放されることのなかったベンドリックスの時間感覚の異相に向けての変容(つまり未来に向けて無限に開かれた現在への、自由を保証するものとしての現在への変容)などが、グリーンのその後の小説作法にどのような影を落とすことになるかということであります。
(山形和美『グレアム・グリーン入門』2010年、p218-222)

 

レポートを提出すると時刻は15時を回っていた。家の掃除と夕飯の下準備を済ませ入浴。

18時半ごろTが到着。米をセットして買い出しに出る。鍋ではなく蒸し野菜、それもきのこをたくさん食べたいとT。ヒラタケとホタルイカと酢味噌を買う。

帰って解凍していたサーモンと馬刺しを取り出し、ホタルイカや蒸し野菜や西京味噌の味噌汁とともに食卓に並べる。食べ切れるかなあと危ぶみながらも完食。

食事中に聞いた話だが、あのチワワ大暴れ事件の後日、Tは再び昼飲みに誘われて姉と歓談したらしい。又聞きした限りでは、彼女は短期間に男性をとっかえひっかえしている?ようであった。というかマッチングアプリ沼にはまってしまわれたかのような印象を受ける話ではあった。一回会った限りのよく知らない人について、憶測で語るのはよくない。しかし「とっかえひっかえ」というのは10代の若者だけの話じゃないんだなと意外にも感じた。自分は少なくとも3年は親しく過ごせる相手でないと、そもそも親しくなろうという気が湧かない。

で、Tとはこの2年くらい親しくしていて、本人には過去の恋愛経験がほぼ無いに等しいのではないかと自分は思っているのだが、それが事実かどうか確認するような質問をするのは憚られた。

 

食後に少しゼルダをプレイする。漫画「無能の鷹」を一緒に読んで呼吸が苦しくなるほど笑う。「無能の鷹」を読んで爆笑できる、ただその事実だけで普通の会社員になった甲斐があったと思える。漫画家はんざき朝未は爆笑大魔神の申し子に違いない。うだつの上がらないサラリーメン(※複数形)に爆笑のひとときをありがとう。

22時ごろ就寝。