240525sat

曇 26℃

9時過ぎに起床し洗濯機を回す。干している最中に先に起床していたYが階下に降りてくる。

我々がバイト先のI系列スーパーで知り合ってから9年経つことについて話す。そして今回が2回目の同居だ。前回6年前も今回同様、こちらの住まいの一部屋をYに使ってもらう形だった。前回時自分は学部4年で、院進する予定であった。Yは高卒で働きだしていて、自分より2歳下だが経済的自立歴は自分より長く、また宗教2世かつ親を早くに亡くしており精神的苦痛を1人で抱え込みやすい気質だ。2人で話していると、こちらがおっとりと気の弱い性格の年下で、Yの方がしっかり者の年上のようなコミュニケーションになる。少なくとも自分がYを教え諭すのが生じうる関係性ではない。ただ自分が院を修了したその年に働きながら大学に再入学して勉強している姿を見て、Yは何かしら感じてはいるようだった。多分これまで身の回りに読書家がいなかったか、いたとしても気づかなかったのではないだろうか。

自分は年下に対して先輩風を吹かすのが苦手な気質なので、職場であっても「すごいなあ」「えらいなあ」「ありがたいなあ」で年下を拝む形で関係を築いている小物的人物である。文章化されているような思考の言葉は威圧感を伴うため使えないので使わない。相手の持つ話題・語彙の引き出しに合わせるようあくまで努力している。こういうコミュニケーションの型は、中学の頃から親しいN.T.やバイト先の腰が低いマスターUを見倣ったものだ。気疲れは多くの人がするものなんだから仕方がないが、コミュニケーションは常に疲れる。申し訳ないがなるべく1人にさせてほしい。

Yの次の引越し先、勤務先では味方になってくれる人が見つかることを願っているよと話す。できれば権威勾配がある年上の異性ではなく、同年代と対等な関係を築いてほしい。あるいは年上の同性に(適切な距離感で)大事にされてほしい。Y自身は「自分が相手に尽くしている」と思える関係を望みがちだけれど、様々な関わり方があり、それぞれに善意と事情があるとわかってほしい。人間関係が嫌で職を転々としてしまうなら、全く別の生き方も検討してみてほしいとも思う(これはもちろん言っていないが)。地方在住で高卒で応募可能な求人というものがどれほど選択肢があるのか、自分には全くわからない。地方だと逆に院卒は厳しい気がする、現職場では院卒がハンデになったりメリットになることがない、その点は全く話題にも上らない環境だ(能力を評価できる人がいないからだ。造形スキルや造形における思慮深さの全てについて、教育の効能を鑑みず才能で片付けるようとするのはマジのアホ)。こうした格差に気づきながらYに愛情を注ぐのには気力が要る。自分は何かズルをしているかのように感じる。これだけ社会の何もかもに対して真摯に関わる気質の人間で、こうしてまた更に傷を負うのかと馬鹿みたいに感じる。本当に馬鹿みたいだ。誰もそんなになんでも真に受けたりしない。いい年して子どもっぽいと思って打ち消す作業がしんどい。こういう真摯な態度の全てが「感情的」「無駄」「スマートじゃない」と破棄されるような虚しさがビジネスマンにはある。仕事マジで休職したい。

11時ごろ、サングラスをかけてYと近所のパン屋に出かける。昼食用のパンを買った。Yはチキンタツタ胡麻バンズと胡桃パン、自分は蜂蜜チーズパンとカレーパン。代金はこちらが持った。昼食をとりながら最後のおしゃべり。食後にYの手土産である「伊豆の踊子」という銘菓を緑茶と共に頂いた。

昼過ぎに家を発ち、途中駅KのTにてカードケースとツールボックス2つを購入し、出社。8時間勤務。う〜ん。しんどい。ひたすら過去の報道を追う。ITパスポートは一応開いたものの頭に入らない。

帰りにチョコザップ。土曜だからか人が多い。30分ほどワークアウトし24時過ぎに帰宅。

Yが作った大根の煮付けとひじきの炊き込みご飯が用意されていた。こういう食事も最後だなと思って温めて食べた。優しく上品な味がした。胸がいっぱいになった。自分がここにいることで、何か物事が良い方向に進んだだろうか?