240524fri

曇 29℃

10時起床。12時前に家を発つ。

13時ごろYから、明後日26日朝には静岡のGに帰ることにしたと報告のLINE。あ、明後日???急やな??


午後から8時間労働。しんどい。何もできない。3日分の報道を追う。
東○新聞が面白い。24日付・北陸の復興ラベル「つなぐ石川の酒」(石浦弘幸さんデザイン)が折り紙やリボンを連想させるもので洒落ている。24面にて皇居の森吹上御苑6000種のゆりかごの記事。リュウキュウツヤハナムグリ
帰路にて試用期間が延長したチョコザップ。10分のトレッドミル(走るやつ)とその他筋トレ。脚と腹と肩を鍛える。40分くらい滞在した。

帰宅するとYの用意したキーマカレーが鍋にあった。深夜だが、おかわりして2杯食べた。

 

Yの厚意に感動し酔っている自分と、冷めた目で突き放す自分とがいる。ストーカーからはるばる逃げてきたYが毎日欠かさず甲斐甲斐しく料理して差し出すのは、結局我々が気が置ける仲にすぎなかったということ。Yがリラックスできなかったということではないか。まただ。また話が噛み合わないまま交流の時間が終わる。表面的に取り繕っているだけで噛み合っていないことに、Yは本当に気づいていないだろう、雰囲気が牧歌的だもの。自分は牧歌的な雰囲気には埋没できないタチなのだ。気づいていないなら気づいていないでいい。今はYにとって危機的なタイミングなのだからそれで仕方がない。

立ち返らなければいけないのは、自分は親しい間柄の人間に対して交流における知的充足感を求めるということではない。それとは別に、本来痛めつけられるべきではないにも関わらず弱い状況に追い込まれた人を助けられる余力が自分にあるうちは、助けた方が自分の気分がいいということだ。

これは偏見と女性蔑視的差別心に基づく発言だとわかっていてあえて書き残す(自分に偏見と差別心があることを自覚するためである)が、「容姿が美しく気立ても良いが知的な会話が成立しない異性の恋人」を持つ男の心理というものが、なんとなく想像がつくような気がした。

自分は本当に心の底から「勉強はいいぞ」ということをYにわかってもらいたかったが、伝え方がわからなかった。勉強は自己破壊の側面を持つものと社会で闘うための力強い武器になるものとがあって、どちらにせよ勉強はいいぞと理解してもらいたかった。「勉強はいつでもできる」「今じゃなくてもいい」ではなく、勉強し続けたことが人格の地層になるのだから片時も離れず机上に向かい自覚的に勉強し続けるべきなんだ。高慢なことに、いつまでも社会的弱者でいないでくれ(傷つき疲れる姿を見たくない)とも思うし、自己破壊してより謙虚になるべきだ(こちらの謙遜を真に受けないでくれ)とも思う。思ってしまう。何か強い目的や夢があってその状況に甘んじているなら覚悟があるからいいのだが、そうでないならそばで見ているのは苦痛だし、卑屈な発言(正社員じゃない、大企業じゃない、大卒じゃないetc)にこちらも合わせてへりくだるのが苦痛だ。というのもその謙遜は空疎な嘘だからだ。自分は割かし入念に戦略を練る類の人間である。

自分はYの痩せ我慢気質と容姿が好きなだけなんだなと思う。でも友人を取捨選択するという考え方にならないので、関係は続くような気がする。会話があんまり成立していないことを理解されていないのが苦しい。

 

美大進学以降、「努力不足ゆえに自分の頭が悪くて生きているのが恥ずかしい」という感情が身を潜めてしまったが(こういうのは逆に嫌味だから)、未だに人格の古層にはあるなと思う。というのも父親は小学生の頃から真っ当に毎日何時間と勉強し続け、還暦超えて未だに国宝級の知性の益を社会に還元しているからだ。翻って自分は怠惰だし、贅沢好きの私利私欲の人間で本当にクソだなと思うこともなくはない。父のように賢く正しいにんげんになりたかった。

そういえば高校生の頃好んで誦じたつもりだった「道程」が実のところラスト9行しか覚えてなかった。全体は思ったよりも10倍くらい長いんだな(追記:高村光太郎の「道程」がよく知られる9行の詩となったのは後年のことで、1914年に作られた当初は102行の長詩だった)。この詩においては自然を父に例えているのでこういう言い方は的外れなのだけれど、自分が持ってる実際の父性のイメージにかなり近い。自分は父親を1人の人間として捉えられない。超俗的なアスペルガー症候群の瓶底メガネのガリ勉。それを何か広大な自然のように茫漠としたものとして捉えている。つまり父と自分との間にまともな情緒の交流は成立していない。ポール・オースターの「見えない人間の肖像」のことも思い出した。

どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
道は僕のふみしだいて來た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自墮落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦惱にもみつぶされたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戰慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命いのちの道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が此命いのちに導く道だつた
そして僕は此處まで來てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の廣大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命いのちの意味をはつきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻しては眼をはぢき
もう此處と思ふところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ嚴格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
とうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一變した
俄かに眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く樣に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の氣魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ聲につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつてゐた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を經驗した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には廣漠とした岩疊な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は氣味の惡い程靜かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕は其の時又父にいのる
父は其の風景の間に僅ながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
同屬を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
聲をあげて祝福を傳へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに從つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや匍ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千萬人の中で百人も殘れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の爲め人間を澤山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育はぐくまれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい氣を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て來ても乘り越して歩け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程の爲め

高村光太郎「道程」)