240522wed

24℃ 晴

日記をつける際にこれだけの日数lagが発生していると、「過去のこの日付に具体的に何が起きたか」の記録と「書いている時点で何を考えたか」の記録になってしまう。具体的な出来事の真っ只中で、自分は何を感じ・考えたかを書き出せない。というわけで再び数日分すっ飛ばして最新日付のログをつけ、その後日付を遡って書いていくこととする。

9時ごろ起床しゴミ出し。

昨晩27時ごろ(もはや今日なのだが)、時差を換算した誕生日LINEをTに送った。

 

ネット上で、女性なのだろうと推測される書き手が(様々な”ジェンダーロールの””受け入れ”の上で)書き手自身の感受性のやわらかさを肯定的に綴っているのを見かけた。そういう、自分のやわらかく儚い文章に安らっている感じが鏡のようにこちらの自意識を立ち上げてしまい、読んでいて舌を噛み切りたくなるほど居心地が悪かった。自分の過敏さや内面のうるささや野蛮さを肯定的に評価するわけにはいかない自分の苦しみがみっともなく無駄なもののように感じられた。そういうテイストで文章が上手な人というのは世の中には多いのだろうと思った。毒抜きしてある感じも気持ち悪くて嫌だった。泥付きの採れたて新鮮ゴボウ的感情は認めないというふうだった。毎日地下鉄に揺られながら「ちかいちかいちかい!お前ふざけんな○すぞ」と目の前の他者に殺意を発している類の人間である自分は、心の底からこの人の視界に入りたくないなと思った。洗練されていて優秀な人なのだろうと思った。

 

恋人であれ友人であれ職場の人であれ、他人といる時の自分が何か善い人であるかのように扱われることに結構助けられている。自分にとって自分はかなりキモい存在なのだが、他人からしてみれば自分はその辺の風景と同程度のものというか、つまり気持ちが悪い存在じゃないんだな。自分の周りにいる人は自分がこういう思考回路の人間だということを知らないだろうし、こちらに大して興味もないと思う。職場で「キモい」「くさい」と女性陣から疎まれているおっさんを指して、「自分はこの人に一番親近感を感じている」と言ったら先輩に驚愕された。3週間ほど前だったと思う。自分の認識はズレているのかもしれない。そういうふうにズレているところも含めて自意識過剰でキモいから、「女性的な」女性の視界に入りたくない。認識がお互いにおかしすぎて妙な異次元が発生してしまう。あるいは何一つこちらの意思が存在しないことになってしまう。