240416tue 楽園での過ごし方

22℃ 晴

8時過ぎに起床。今日も二人とも仕事は休み。身支度して近場を散歩する。
我々は公園情報センターHP(フルーツや山菜を探そう)を敬愛しており、「公園とは、自治体によって果物の木が計画的に植栽管理されている、実質果物食べ放題のフルーツパラダイスである」と確信している。家から歩いて15分ほどの場所にある公園のさくらんぼに目をつけているのだ。昨年時点ではGWごろに熟して食べごろであったため、今のタイミングはまだ時期尚早なのだろうとは思っていた。現地に到着するとやはり実ってはいるものの青い。今回は視察に留めまた5月頭に訪れようと思う。公園全体を練り歩いてさくらんぼの木は4本あることを確認した。

「いい歳した大人が木登りだなんてみっともない、、」という視点もあるかもなあとも思った。木登りは子どもだけに許されたレジャーではない。近辺に知り合いがいないのでどうでもいいのだが、仮にいたところでこんな片田舎で人間が木登りしていても誰も気に留めないだろう。自分は食欲が強い。いや食欲が強いだけならスーパーでお金出して木の実を買えという話だが、時期を見計らって木登りして収穫する営みに楽しみを見出している。


ついでにE川にも足を延ばして川辺で野花を摘んでこようということで、公園を奥へ抜けて裏道から左に曲がり、土手を登った。風がけっこう強い。E川は以前よりも減水しているとTが言う。そうなのだろうか?自分にはわからない。土手には薄荷が多く茂っている。貧乏草をTが嬉々として摘んでこちらに渡そうとするので「それは貧乏草じゃアホ!」とうっちゃる。どうやら「とてもきれいだから」と無邪気にこちらに寄こしてきたようで、ハルジオンを貧乏草と呼ぶのは関東の一部地域だけなのだろうと思った。貧乏草と認識してしまった限りは残念ながら受け取ることができない。自分は自分でアブラムシだらけの菜の花を嬉々として手折る。帰路の途中でアブラムシに気付いてギャアと叫んで花を捨てる。代わりに別の黄色い花とヒナゲシを摘んだ。最近では土手や公園で野草の1本も手折ってはならないとの教育が流布しているようだ。そういうのはめんどくさいので無視する。道中の焼き鳥屋で福祉作業所で作られたクッキーを2袋買う。Tはねぎまともも串を1本ずつ買う。こういうクッキー、美味しいけど作っている人は時給200円とかなんだよねと言う。営利目的で作っているわけじゃないから仕方ないとT。


帰宅して10時半ごろにブランチ。ホットサンドメーカーでアボカドベーコンチーズのホットサンドを作り、それからカフェオレと果物少々。ホットサンドって美味しいしすぐできるし洗い物が少なくて便利だねえとTがすっかり感心したようすで言う。そうそれだから一時期朝昼晩とホットサンドで暮らしていた時期もあった。何しろ食パンは8枚切で90円だからお財布にも優しいのだと応じる。

食後はアトリエで過ごす。放置されている画集や教本をめくりながら喋りつつ、Tに絵墨に触れてもらう。

13時過ぎくらいに解散。

その後一人になって、宅配を受け取った以外は泥のように眠る。
保坂和志『考える練習』を読む。するすると読める。

白水社の本棚 2024春」の「カフカ研究者のカフカ的世界」を読む。

 

自分は自覚していなかったものの自分の傍らに「良い子ちゃん」がいることによって随分と疲弊してきたので、Tのそばにいてのびのびと過ごし自然に触れられることを幸せだと思う。