240326tue

11℃ 雨

昨日にも増して肌寒い。こりゃ遠征しなくて正解だったなと思う。計画では今頃名古屋をうろついている予定だった。

昨日手に入れたベーカリーのデニッシュやムースを食べる。せっかくの甘味も喉の不調のため美味しさ半減。虚しい。

 

千葉雅也『勉強の哲学』を流しで読み終える。勉強を現実において継続するときの限界というか有限性について繰り返し書かれていた印象。あと勉強仲間の繋がりを持ちましょうだとか。問題意識の無意味な共鳴を手がかりにするだとか。あんま尖ったことは書かれていない。いや勉強すればノリが悪くてキモい奴になるのはそりゃそう。ツッコミとボケとをアイロニーとユーモアと呼んで「来るべきバカ」になりましょうという説得。自分にとってのヒントになるのは「欲望年表」かもしれない。これは必ず実践しよう。

 

そういえば今回の18切符旅行は二部構成であるが、18切符旅行そのものは就職して2回目、学生時代から数えると6回目?にあたるのではないかと思う。前回は1年半前のコロナ禍の最中、紀伊半島を一周して熊野古道を目的とした。帰りの道中、もうこうした遠距離鈍行旅行はよそうと思ったのだった。だから今回は距離を縮め、関東と南東北、関東と中部程度に留めている。

大学アカウントにログインしたらロシア文学の表記が添削中になっていた。再提出のドイツ語と近世英文学史の課題もこの1ヶ月以内に取り組まないと期限切れになってしまう。次の新規課題は何に取り組もうかと迷う。

 

森泉岳士『仄世界』を読む。親密な他者との関係が唐突に次々と失われていく話、だと解釈して良いのだろうか。相手から忘れられるのではなく、始めから存在しなかったことにされる。だがこちらは全てを覚えている。サイコホラー?淡い悪夢

どこも出歩かず、寝ては読み、読んではまどろみ、夢うつつのまま一日を過ごした。

 

本当は、意味のある具体的なものなど何も描きたくないのだ。しかし一般の需要があってそれが自分のプロデュースにつながるだろうからという打算で、日常的な細々としたものをイラストにしようとして、実際そうしている。具象など微塵もやりたくないしイラストも俗っぽくて嫌いだ。しかし描こうと思えばなんだって描けるから、そのことで自分の発言権や自分の居場所をネット上に用意できるのであればと思って、市民に忖度しようとしている。話が通じる、目が肥えた人には滅多に出会えないと思う。