240423tue 机上に費やされた一日、豊田遠征を躊躇

19℃ 曇

8時ごろ起床しゴミを出す。思うんだけど書き出しが毎日ゴミ出しから始まるこの日記、ザ・生活臭、という印象でかっこ悪くないか?ていうかそういう映画あったよね何だっけ……(映画予約サイトの履歴を確認する)そうそうMr.ノーバディ!毎週ゴミ出しに遅れる冴えない中年男性は世を忍ぶ仮の姿!本気を出すと実は怖い奴的な話。去年くらいに観た記憶でいたが確認したら3年前だった。あの映画頭からっぽで観れて面白かったなあ。……まあ赤裸々ではないにせよ、ただ人間の毎日を書き連ねるブログにかっこいいもクソもあるかいという話でもあるのだが。気取ってかっこつけた日記ってむしろ気持ち悪いからこれでええのかもしれん。ただまあ例えば書く対象の抽象度や俯瞰具合を上げてもっとなんていうかこう意識高い系の学生みたいな、社会問題の掘り下げとか詩の引用とか美術制作における考え事とか書くべきなのではないのか!?最近は「こういうのが嫌い」ということばかり書き連ねていて、読んでいて結構つらくないか?自分は自分の1番の読者なので(ていうか他に読者とかいないので、気兼ねなく)書いたら2回でも3回でも読み直すんである。

ちょっと実験的に毎日の日記に題を冠してみる。

 

昨日ジャンクフードをバリバリ食べた影響で今日はさほど食欲がなく、だらだらと過ごす。ブログを3日分更新。

今晩からの夜行か明日早朝の昼行か明日の夜行で豊田に行くかどうするかなどと2時間ほども迷ってうだうだうだうだしていた。2年前までなら当然のように勢いに任せて予約し決行しただろうが、今回はなんとなく気が乗らずだらけた時間を過ごした。13時ごろに治○の電話が入ったので二つ返事で引き受ける。内容はここには書かないが、自分は自分の身体を差し出し、実験マウスになって小銭をもらうのが好きだ。普段手に取る商品の背景に想像が及ぶし、それに開発におけるこうした検証の過程(データの取り方)は、美術系のこちらにとって新鮮な感じがあるのである。で、豊田には結局行かないことになった。ネットで余計なものを見聞きしてしまって興が削がれた。代わりに秋ごろに行こうかなどと思った。

自分は国内では豊田市美術館横浜美術館東京国立近代美術館には絶大な信頼を置いている。学芸員資格の実習で赴いたところ(実家が近いとかいうことは全くなく、交通費宿泊費までバイトして賄った)、教育施設で長期インターンしたところ、コレクション課で長期インターンしたところということで、学生時代の経験により、かなり思い入れが強い。結局学芸員にはなれなかったが……。自分は精神衛生を最優先する必要があって、タフな労働環境や不安定な雇用には耐えられなかっただろう(門外漢にはピンとこない話かもしれないが、学芸員の労働環境をめぐる問題は結構深刻なのです)。だからそれは仕方がない。お世話になった方々には申し訳ないけど。

ああこういう話しているとだいたい「でかいハコばかりじゃなくちっちゃいギャラリーにも目を向けろこのうすらハゲ権威主義者が!」的な声が(自分の中の)他者から上がるんですけど、自分はそういう社会の上澄みが好きで、つまり教科書や新聞などといった評価が確定している物事の集合体が好きな人間であって、お金の計算があんまり得意じゃないし資本主義バリバリっぽいところに自分から近づいていこうとすることはできない。コマーシャルギャラリーや貸し画廊、見に行くは見に行くけれど友達の展示だから見に行くみたいな内輪ノリにはついていけない。あと作家はキュレーターなどの作家を支える側に超人的能力を求めすぎなんじゃないのとか思う。彼らは社会全体から見れば非常に優秀で、かつ色々なものを犠牲にして働いている人たちの集団なので、若手が発掘されていかないからといって苛々しないでほしい。なんか書いていて嫌になっちゃったな。

 

大学に進んでから、胸襟を開いて語らうような大学の友達はほとんどできないけれどうっすらとした横の交流はあって、たまたま流れで文化祭の展示のリーダーを仲間内で担当させてもらう機会があった。自分には全くカリスマ性がないし意識散漫なサガなので、性格・気質的に芸術家タイプや職人気質ではないかな。でも共感性は高く視野が広く地道で勇敢だから(←自己評価が高すぎる)作家を支える側にはなれるんじゃないか、そう思った。地味なマルチタスクが苦じゃないしコミュニケーションも(叩き上げによって)克服しつつあるし、何より今はキュレーターが大きな力を持っている時代だ。そういうのも面白いんじゃないか。その流れで大学院修了まで首を突っ込める限りのことはした。


今の職場は就職当初、経歴的に自分は「生粋の芸術家タイプ」と見做されることが多くやりづらかった。しかし最近はというとやる気がゼロであり、とれる有休をとりまくって職場にあんまりいない人になっているため自分の中でも「たかが銭稼ぎの場で人からどのように見なされるか」がどうでもよくなりつつある。というかどうでもよくなるように仕向けている。まあ定年まで「あんまりいない人」のままやっていけるかというと微妙なんだけど、そういう眼差しが窮屈で嫌になったら会社を辞めて貯金とバイトで食いつないでいけばいいやと思う。

 

こういう風に自分の経歴を一つのモノガタリ化していくと「じゃあお前もう制作はええんか?」という話になってくるのだが、なんか作っていないと調子が悪い気がするのでアトリエは引き続き維持するし、なんか書いていないと気持ち悪いので自分を確認するためにこうした文章を垂れ流していく。

 

こんなん日記とは呼べないね。いったいいつになったらまともな日記が書けるようになるのだろうか。