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15℃ 雨

8時ごろ起床。やっぱり今日は豊田には出かけたくないなーと後引く思いも抱えながら外の雨音を聞く。雨であるせいか少し肌寒い。米と山葵納豆と味噌汁で朝食を摂る。食後に昨日ココノカ堂で買ったロールケーキ2切を食べる。

少し止んだ頃を見計らって郵便局に出かけ、文芸PR誌ちくまの払い込み(年12回発行で1100円のおねだん)を済ませる。毎月の楽しみが増えることですなあ。ありがたきしあわせ(アフロ田中)。中身はもちろん楽しみではあるのだがまず表紙の市川春子が目当てで申し込んだ。市川春子は昔描いていた短編が好きで最近の長編は読んでいない。多分読まない。なのでアニメがどうのとかはわからないのだがネットではかなりの評判みたいだ。こうして話題の時に文芸誌の表紙に起用するというのはビジネスの手腕を感じる。自分もまんまと表紙に釣られた口である。

ところで白水社の季刊誌である「白水社の本棚」の方はこれ本当に無料でよいのだろうかと心配である。こういう出版社が出してるB5サイズの小さい機関紙、最近知ったばかりでいわゆるマイブームなのだ。普段から大学の課題だの趣味だので読む本が既にたくさんあるため分厚めの文芸誌だと読み切れる自信がないのだが、こういう小さな雑誌なら読める。市場に流通しておらず後から遡って入手することが難しいというのもワクワクするポイントだと思う。他にもないかちょちょいと探してみよう。

そういえば横浜に赴いた際に、(zineを作ってみたいと言いつつ全く着手していないなというのは棚上げにして)月刊ひとり新聞を発行してみることはとても楽しそうなのではないかなという話をTに聞いてもらった。地図とかグラフとかイラストとか全部作れるわけだからあとは自分の中に蓄積されているネタを選ぶだけだ。

こういうアイディアばかりで実際のところ何も実行に移さなかった物事といえばzineの他に酒蔵巡りサイト運用とフリー素材作成告知SNS運用などが挙げられる。実行に移した物事といえばこの日記ブログやフリー素材(今200枚くらい)作成やlinktoberや大学再入学&単位稼ぎなどが挙げられる。どっちかというと実行に移した物事の方がまあ多いので自分は自分を称えて然るべきである。ところで毎日自邸の庭を見るたびに庭の手入れサボりがち問題を意識する。

大学のドイツ語課題に再着手した。本当はラテン語なんぞに寄り道している場合ではなく、卒業がかかっているドイツ語に注力しなきゃならんのだが、まあ焦ることじゃないしねと後回しにしていたのだ。なぜドイツ語であるか。バウハウスのドイツ、ミヒャエル・エンデのドイツ、トーマス・マンのドイツだからである。

 

 新基準としての Mx

こうした中,昨年,大辞典の Oxford English Dictionaryが,MrやMsに代わる敬称として, あらたに,Mx(mixまたはmuxと同音)を辞書に取り入れた。Mxは,性を特定しない人,されたくない人に対する ,gender-neutralな敬称とされる。すでに,英国では,役場や企業が採用を 進めており,Mxの使用は急速に増えているという。今年は,米語系大辞典の Merriam-Webster Unabridged Dictionary(以下,MWUD )も,Mxを収録している。Mxの初出は1977年とされるが,性の多様性への関心が高まった近年,注目されるようになった。生物的な性別のみに基づいて,人間をMsとMrに二分する英語のありように,疑問が呈されたのである。40年前にフェミニストが取りこぼした視点であったと言える。

(石川有香「ジェンダーから見る辞書記述」)

つまり映画ふうに言うなら"Mx. Nobody"ってワケなのだ。まあ実際のところ人は他人のジェンダー自認なんぞに微塵も興味はないだろう。というか現実的に考えて、他人の精神性や他人の思想や他人の価値観なんかに興味がある人間のほうが珍しいのだ。自分ですら、そういうのが一種のvulnerabilityとして他者から表明される限りにおいては「新時代様式ですね笑」「でも意思疎通の型がわからない」と困惑し、「そちらをどう扱えばいいのか詳細に説明してくれ」と思う。大きな属性を一つ退けることによってかえってむしろ「自分本位の未熟さ」が炙り出される。「むきだしの・ありのままの自分」を承認されたいとか思っているふうになってしまう(実際にはそうではないにしても)。自認を伝えることが「自分を特別扱いしてくれ」と同義になってしまう限りにおいては、自分は自分についての表明をしない。それでも耐えらえる程度の不快だ。仕方がない。諦めろと思う。自分も人のことを見かけで判断するのだから見かけで判断されるのは仕方がない。辞書ばかりではなく、もっと社会に浸透することがあったらそれはその時に考える。とにかく自分は周りの認識に自分を馴染ませる演技にとどめたい。

 

明日朝早く起きなければならないにも関わらず、昼寝のせいか夜なかなか寝付けなかった。

日記の冠は毎度、後で読み返した時につけようと思う。ネット風ではなく、紙面風の見出しにしたい。