いくつものフックがある。

大学に入る前の話をすることができない。高校を出てから5年ほどの空白がある。特に受験対策をしていたわけではない。そもそも日本の大学に入りたいとは思ってもいなかった。専門医に医療の介入を必要とする状態にあると判断され、精神病院に入院したり、あるいは「裕福な」「太い」「羨むべき」実家に寄生して療養していた他は、何もしていない。何もしていないというか、本を読んで映画をPCのモニタで見たりはしていた。今からすれば夢のニート生活である。医療的措置が介入している以外は。
ただそういう「本人の精神においては危機的だが、経済的には問題のない」状態が長かった人間は意外とありふれており、わざわざ気にかける人もおらず、気にかけるにも値しない事実であり、言わなければわからないことだ(と、言える地点にまで自分を引き上げてこれた)。放っておけば人はこちらの年齢を見誤るし、こちらの経験を見誤る。美術系は多浪が多く、こちらは年齢相応の振る舞いをしないからだ。

 

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ブログ名を「みなそこに錨を下ろす」に変更。

学部生から院生時代にかけて4、5年ほど場末の酒場(気取った言い方をするとショットバー)で働いていた。その際にも今と同じく暇でゆるい職場だと思いながらぼんやり勤務時間を過ごした。マスターの道楽営業で開店から閉店までワンオペ。大したこともせず時給1080円(都の最低賃金)。このバイトを通じて、人間関係の多くのことを学んだ。その店はもうない。2年前に消えた。まだ覚えていることを書きたい。思い出せる限りのことを書いておかなければならない。その場にいた人々が皆生きていても、その場自体が無くなってしまったらもう二度と再現できないだろう。

 

 

 

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現在は学生時代の境遇から遠く隔てられ、ゆるく生きながらえている。とはいえ「真っ当な」人生の全てを捨てても構わない(マトモな人生を望める精神状態ではなかったので)と芸術を志した結果、油画科を出て大企業に勤めているこの巡り合わせの可笑しさよ!就職した先は結果的に、「モーレツ社員を理想とする真面目な人間」ではない・ろくでもない自分にはお誂え向きの職場だった。生業は食い扶持を稼ぐためだと割り切り、今流行りの「静かな退職」のような働き方ができればそれでいいのである。

しかし根本に立ち戻って「本来の」ことを取り沙汰するのであれば、自分の「本来の」仕事はとうぜん造形実技であるべきだ。リサーチを行いコンセプトを練る。絵を描く。そういったこと。そういったことのために長い学生時代を費やしたが、現状は迷走に迷走を重ねて実績を積めない。展示の鑑賞経験が日々増える。

何か頭を使って考えようとすると途端に眠くなるこのくるしさ

 

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自分は日本人だ。しかし日本で育ったわけじゃないから、人と話していても前提が違うから、しかし前提が違うのだと言うことをいちいち自意識過剰だの気取りだのと退けられるのが鬱陶しいから、でも、ならば、自分は一体どう振舞えばいいのだろう?自分の最も親しいひと、理解者であるひとには海外経験の衝撃が絶対的に必要だった。そうでなければ自分の持つ荒れ野を察知できないと思った。

 

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自分の声は誰かに届くだろうか。届くかどうかわからないのに吹きこぼれるように在ってしまう(という言い回しは中上健次の受け売りだが)。ただ生きていくだけのことが、どうしてこうもくるしい。このくるしみのために、いずれは自分で自分を殺さなくてはならない予感を負っている。

 

------以下精神的に強い刺激を与える可能性があるため注意------

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の隣にいながらにして「死にたい」などとのたまう全ての友達が嫌いだった。

「死にたい」とかいうことを思うだけにとどまらず口に出すのは、被害者ぶっていて愚かで卑怯なんじゃないかとずっと思っていた。「現状の苦境から脱するためにあらゆる手を打つことをせず、もちろん自分で自分を殺す心意気はなく、他人任せで、何かの拍子にふっと消えたい」がせいぜいなんじゃないか。そんなぬるい覚悟で「死にたい」などと言うのか。傍らで聞いているこちら(他者)がどんな気持ちでいるか慮りもせず。とにかく後味が悪い。卑怯だ。自分で自分を叩き上げろ。這い上がれ。さもなくばマチズモに打ちのめされて死ねと思った。自分は「死にたい」と溢したことがこれまでにあったか?そちらにそういう最悪な(ずるい)甘え方をしたことが一度としてあったか?性別に本質を帰すことに強い違和感を覚えながらも、頭の片隅で考える。一般的に女性は死にたいと公言するハードルが男性よりも低い傾向にある(と、自分は、思う)。ダッサ、お前ふざけんなよと思った。女性だからって何の疑問も挟まず女性みたいな振る舞いをするなと思った。

しかし、自分自身も根本的には十分に「生まれてきたくなかった」。「まだ死にたくないなどと願った」ら、それだけで、過去の自分に申し訳ないと未だに思っている。

 

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何年前だったか、肉を食うことに疑問を持ち、鶏を人に譲ってもらってシメて捌いて食ったことがある。殺す瞬間の鶏は力強かった。普段から我々は毎日いろんなものを殺して食っているが、スーパーマーケットの清潔なパウチなどを介しているため、そういう生(き)の現実に対して感受性が開かれていない、受け止められていない。そんなことだからすぐ安易に生きる死ぬだと言う何もわかってない陳腐なところに言葉が落ち着くのだ。恥を知れ。

我々は個人の力ではどうしようもない時代の大きな流れに飲み込まれるようにして、この世で短い生の時間を過ごす。それより他にどうしようもない。

 

※本稿は日記ではなく現状理解と自分の立ち位置、方向性を確かめることを目的とした作文。一気に書かず随時更新。